青春的イベントという考え方

 青春とはなんだろうか。

  

 青春とは海でもスキーでも花火でも恋愛でもない。もちろん、失恋でもない。それは青春の1ページとなりうる典型的出来事に過ぎない。

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 青春とは若者が現在を指す言葉ではない。

  大人が、過ぎ去ってしまった青年期を、感傷的な気分を込めてそう呼称するのだ。

 

 青春とは若者が使う言葉ではない。

 

 「青春らしい」とは何か? 単に「青春」のステレオタイプとなった活動をすることでは断じてないのだ。

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  翻ってそこの君は 青春らしい出来事を意図的に生産しようとしてないだろうか? 出来事を青春と断定して、そんな自分に酔っていないだろうか?

 

 過去の他人が感じた感情をまるで自分の感情のように錯覚させることほど、不自然なものはない。

 

 そうした自己洗脳のあとに残るのは 「青春」のラベルのついた賞味期限切れの思い出だけである。こんなに虚しいものはない。

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  ようは青春とは何かを考えるとき、僕は一度大人にならないといけない。大人になったときにわたしは若者の僕に何を求めるだろうか。

 

 たぎる自分の心に忠実であった頃、本当の自分を生きていた頃の純粋な思い出ではないだろうか。

 

  好きな仲間を作り、好きなスポーツをし、好きな勉強をし、好きな音楽を聴き、好きな本を読み、そして好きな人と結ばれる。好きな夢・目標を持ち、それにぶつかっていく。

 

  そういうことではないのか?

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 会社で責務を果たすために、労働者が汚してしまった自分の心。

 いわゆる「青春」を送るために、「青春者」が汚してしまった自分の心。

 

 両者に本質的な違いはあるのだろうか?

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 つまりは

    自分の心に忠実である

 

それが青春だと思う。

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 そして、そのような青春を僕は送りたい。

 

 青春者である今の僕はそう思うのだ。

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 青春には道はない。道という制限すらない。全方向に自由な大海原を駆ける。そういう意味で、青春航路は「青春者」から自分の心を取り戻していく過程を描き出すだろう。

 

 なんのことはない。

 青春航路とはただの日記である。